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知らずに死ねるか!

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真実の歴史

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空から見下ろした1945年の姦国-01

空から見下ろした1945年の姦国-02

空から見下ろした1945年の姦国-03

空から見下ろした1945年の姦国-04

空から見下ろした1945年の姦国-05
引用開始
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空から見下ろした「1945年の大韓民国」

1945年8月末と9月初めに、米海軍が軍事目的でソウルや釜山、仁川、群山(忠清南道舒川郡長項も含む)、晋州、馬山などを撮影した写真1056 枚が20日、本紙に独占公開された。この写真は、米トリード大のデビッド・ネメス教授が1980年代後半に済州大に寄贈したもので、現在まで済州大地理教育学科(孫明哲〈ソン・ミョンチョル〉主任教授)が所蔵している。

 これらの写真資料はすべて印画紙の状態で、大きさは小型(縦横各23センチ)と大型(縦23センチ、横48センチ)の2つがある。光復(日本支配からの解放)直後の45年8月28日から29日、そして同年9月9日から10日に撮影されたもので、ソウル以外はすべて港湾を撮影している。ソウルと港湾部を撮影したのは、日本の敗戦以降、韓国に関する情報を収集するため、米軍が主要地域を優先的に撮影したものと見られる。なお、写真には撮影日や地域名などが記されているが、ソウルや仁川を「KEIJO」や「JINSEN」と日本式の発音で記している。また、3000メートル上空から90度の角度で鉛直撮影(垂直方向からの撮影)したものがほとんどだが、一部には撮影対象を斜めから撮影したもの(傾斜写真)もある。

 済州大の呉尚学(オ・サンハク)教授(地理学)は「われわれの手で撮影されたものではないが、大韓民国の主要地域を本格的に航空撮影した最初の写真という点で大きな意味がある」と評価した。日帝強占期、日本当局も航空写真を撮影したが、ソウル都心などを断片的に数カット撮影しただけにとどまっている。

 なお、国土地理情報院も地図製作を目的とした航空写真を持っているが、66年にオランダと「航空写真測量事業協定」を結んだ際に撮影された写真を所蔵しているだけだ。済州大地理教育学科側は、このほかにも日本の九州や本州、沖縄、台湾、フィリピンなど、米軍が44年から45年にかけて航空撮影した 13箱分の写真をネメス教授から寄贈され、保管していると明らかにした。

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引用終わり



米海軍が軍事目的でソウルや釜山

▲1945年9月9日に撮影したソウルの都心

 徳寿宮などの宮殿やソウル市庁舎、ソウル市議会の建物以外、現在も残っている建物は指で数える程度しかない。





東大門(興仁之門)と周辺の清渓川の様子

▲東大門(興仁之門)と周辺の清渓川の様子

 写真の上が南側だ。今年11月に撤去される予定の東大門運動場のかつての姿を見ていると、「ここは城東原頭(城の東側の野原という意味で、この地域のかつての呼び名)…」で始まるラジオ中継がどこからか聞こえてくるような気分になる。





ソウル汝矣島と周辺の風景

▲ソウル汝矣島と周辺の風景

 広々とした平原のような島に飛行場の施設だけが見える。「上を見なよ、安昌男(アン・チャンナム)の飛行機、下を見なよ、厳福童(オム・ボクトン)の自転車…」という流行歌の発祥地となったこの飛行場は、1916年に開設され、韓国人初の飛行士・安昌男は22年12月、ここで母国訪問記念飛行を行った。





忠清南道舒川郡長項の風景

▲忠清南道舒川郡長項の風景

 長項の象徴である前望山(別名・煙突山)の長項精錬所の煙突が見える。1936年に操業を開始した長項精錬所は、韓国非鉄精錬産業の歴史を切り開いた場所で、現在は「LS‐ニッコー・カッパー」という会社がここで操業している。写真に写っている煙突は79年に撤去され、現在の煙突は同年にほぼ同じ高さで再び建てられたものだ。全羅北道群山出身の詩人・高銀(コ・ウン)さんは以前、「背伸びするかのようにわたしをぐんと育ててくれたのは、川の対岸にある長項精錬所の煙突であり、その煙突から出る長々とした煙だった」と回想している。





さて、二ヶ月ほど前のチョン日報の記事です。1945年当時といえば、終戦年ですな。記事中に地域名や建物名等は日本語表記と書かれてるんで、超賤が独立する前の写真というのがわかります。

見事ですなぁ!日本統治が、かなりうまくいったという決定的な証拠ですよ。日本は、超賤をこんなに近代化したんですねぇ。超賤人は、日本による略奪や搾取がああだこうだとホザきますが、下記の写真をみれば超賤人の大嘘がすぐにわかります。

ちなみに上記2枚の写真の内、上の写真は1897年当時の超賤だそうですから、日韓併合前という事ですな。

それにしても、その差は歴然ですな。未開の地から近代国家へという感じです。インフラだけではなく、産業や教育、医療等もかなりレベルアップしてるのは想像に難くないです。
しかし、超賤人はこの後の超賤戦争で、せっかく日本が作ってあげた貴重な財産を同じ超賤民族同士で叩き壊してしまいます。まともな知能を持ってないんでしょうなぁ。物凄くもったいねぇですよ。これだけの物を行かす事が出来れば、今頃超賤は先進国の仲間入りしてたでしょう。

これらの写真は、貴重な資料ですよね。近代史における日本側の主張という観点から見れば、かなりの武器になる資料です。興味がある人は、下記のサイトに行ってより多くの武器を手に入れておきましょう。





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