[PR] 癒し 知らずに死ねるか! 来住新平

知らずに死ねるか!

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来住新平

来住新平


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yomiuri20071218-01
yomiuri20071218-02
抜粋開始
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「南京城一番乗り」

◆真珠湾攻撃にも県内の出撃者

 「南京城一番乗りの日高軍曹という人がいた」

 都城市山田町の元陸軍曹長、谷口正明さん(88)は語り始めた。

 70年前の1937年12月13日。日中戦争で、中国の首都南京が日本軍の攻撃で陥落した。攻略に参加した都城歩兵第23連隊(約3000人)もこの日、南京にいた。

 その際、同町出身で同連隊にいた日高義平軍曹が「南京城一番乗りの手柄」を立てたという。

 各種戦記によると「一番乗り」は南京を攻めた部隊ごとにいたらしく、諸説ある。

 39年に入隊した谷口さんは「元気な人だった。胸にいっぱい勲章を付けていた。(上級の)少尉や中尉が全然付けてないのにね」と義平さんの姿を思い出し、武勲をたたえる。

 だが、義平さんの弟で、養子にもなった旧山田町長の日高隆矩さん(71)は「戦争の話はほとんど聞かされなかった。軍隊時代の写真もない」と言う。義平さんは多くを語らないまま72年に亡くなった。

 昨年、同市が刊行した「都城市史 近現代」によると、23連隊は南京戦で88人が戦死、307人が負傷した。「南京陥落前後の混乱時に、日本軍の一部には捕虜・市民に対する大規模な虐殺・略奪・暴行などの行為があった」と虐殺論争のある「南京事件」のことも記している。

 日中友好協会の来住新平都城支部長(77)は、99年に事件を題材にした映画を同市で上映した。参戦した地元の元軍人から反論があったが、「“事件の事実”から目を背けてはいけない」と語る。
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抜粋終わり




去年のyomiurionlineの記事です。
宮崎県都城市と言えば、近年、朝日新聞による捏造記事が話題になりましたな。
これです↓。


簡単に説明すると、南京虐殺はあったとする朝日新聞の捏造記事に対して、宮崎県都城市に在住の元23連隊所属の日本軍兵士が裁判を起こし、2年半もの戦いの末勝利を収めました。しかし、その時の朝日新聞の対応の酷さが大問題となり、文芸春秋が昭和62(1987)年5月号において朝日新聞を批判した物です。




その都城市で、またしてもおかしな事をやってる売国奴がいるようです。


日中友好協会の来住新平都城支部長(77)は、99年に事件を題材にした映画を同市で上映した。参戦した地元の元軍人から反論があったが、「“事件の事実”から目を背けてはいけない」と語る。


記事中に来住新平という名前が出てきますな。こいつが何者かと言うと、記事中にもある通り、日中友好協会の支部長であり、97年当時は凶惨党の顧問だったようです。また、これまで何度か宮崎県の衆議院議員小選挙区選挙で立候補したり、平成7年には宮崎県知事選挙にも出馬してます。当然、悉く落選してます。

上記記事に”99年に事件を題材にした映画を同市で上映した。参戦した地元の元軍人から反論があった”というのがありますが、これは23連隊の事ではないかと思います。また、23連隊以外からも反論があった事でしょう。来住新平が言う”事実”と言う物などは存在せず、捏造しかないんですから。

また、来住新平が所属する日中友好協会とやらも、売国行為に必死なようです。下記項目をクリックすれば、サイトに飛んで行きます。




いっつも思うんですが、こいつら、何でこう日本を滅亡へと導こうとするんですかね。何の得があってやってんですか?んで、そんなに日本が嫌いなら出て行けばいいのに、何で日本在住なんですか?



















































真性キチガイが


やる事は


理解不可能



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