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知らずに死ねるか!

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俺らは、いつも言ってる事だが




俺らは、いつも
言ってる事だが


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朝鮮新報20080410-01朝鮮新報20080410-02

引用開始
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【コラム】
代案教科書に学界が反応しないワケ(上)


記事入力 : 2008/04/10 15:36:35
 歴史とは時として無責任なまでに観念的だ。マイケル・グルーバーの最近の著作『わが骨を動かす者へ』(原題:The Book of Air and Shadows)に、次のような一節がある。「彼(教授)は、歴史には三つの種類がある、と言った。一つは実際に起こった真実で、これは永遠に分からない。もう一つは大方の人が真実だと思っていることで、粘り強い努力で復旧することができる。最後の一つは、権力を持った人物が後世をして真実だと信じさせようとすることで、本に載っている歴史の90%がそれだ

 少し前、『代案教科書 韓国近・現代史』が出版された。執筆者代表の李栄薫(イ・ヨンフン)教授(ソウル大)は、現行の教科書がこの「90%」の歴史で満たされているとし、代案を送り出したわけだ。過去3年間、「復旧」の努力を続けてきたという「教科書フォーラム」の学者たちは、大韓民国の建国史に特に大きな自負心を持つ。そして、日帝強占期を抑圧(収奪)と闘争(抵抗)といった二分法だけでとらえるようなこともしない。さらにこの本は、20世紀前半期が「韓半島(朝鮮半島)で近代文明を学習し実践することを通じ、近代国民国家をつくり得る社会的能力が厚く蓄積された時期」(78ページ)だったとしている。

 すると、ある読者は「あなた方はそんなことをしてよいのか」と、胸ぐらをつかまんばかりの勢いで新聞に意見を送った。さらに教授の弟子の一人は、「(李教授に対し)あなたはもうわたしの師匠ではない」と叫び、電話を切ってしまったという。

 「代案教科書」に腹を立てる声は多い。ところで問題は、昨日今日教授を批判する学者にしても、また教授を応援する陣営の学者にしても、公式の声明は明らかにしていない、という点だ。なぜそれほどまでに静かなのか。こういうときはいったん「よく分かりません」と言い、盾の陰に隠れるのが世渡りというものだからか。さもなくば、朝が来るたびにその日の催しが変わる「総選挙マダンノリ(広場で行われる民俗遊び)2008年バージョン」に心を売ったためか。





記事入力 : 2008/04/10 15:36:39
より根本的には、韓国の学界と文化界に、果たしてこうした論争を受けて立つだけの体力があるのか、という疑問も浮かぶ。憲法上に「民族主義情緒法」を戴いている韓国の社会は、こうした論争を長く続けられるだけのルールを備えているのか。


 詩人のキム・ジョンファンは最近、ある季刊誌に「1998年、そしてその後10年の日記」という一文を寄せた。「…記者の数に比して紙面があまりにも多いメディア、俳優や作家に比べあまりに多いテレビドラマ、番組に比べあまりに多い放送チャンネル、読者に比べあまりに多い作家、特に詩人と随筆家、そして児童文学家、展望力に比べあまりに多い政治家…」

 学界も同様だ。コンテンツを満たしていく力量に比べ、器ばかり大きくし、それに固執している状態ではないのか。「90%」の歴史がつくられている間、基礎体力は落ちていき、ポーズばかり取るようになった側面もある。現場確認、韓国語への翻訳作業、資料調査といった基礎固めに比べ、机上の空論にばかりたけている人物も極めて多い

 メディアが学界より上だというわけではない。言論人ニコラス・レモンは言う。「記者が取材し報道することの99%は、世の中で実際に起こったことの1%にすぎない」。告白するにわれわれは、1920年代に生まれた、日帝末期を分別ある大人として生きた人々の話すら、しっかりと受け止め記すことができなかった。「歴史的事実を正面から見つめるためには」基礎体力が必須だということを、十分に理解していなかったと反省する。

 もちろん、学者は慎重でなければならない。そうはいっても、「90%」の歴史が青少年に教育され続けているとしたら、これに対して何か声を上げなければならない責任が彼らにはある。これには、「代案」に対してまた異なる「代案」が出ることもあり得る、ということも含む。今こそ始まりだ。「実際に起こった真実」は分からないとしても、「大方の人が真実だと考えていること」を探すためならば、その道がどれほど遠いとしても、今すぐ踏み出さねばならないのではなかろうか

キム・グァンイル文化部長
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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引用終わり









この記事は、チョン日報ではありませんな。
メディアである、朝鮮日報の記事と言うべきです。

この記事は、基本的に正論ではないかと思います。と言っても、普段、我々日本側が主張してる事に過ぎません。しかし、こういった主張は姦酷ではマイノリティーと考えるのが正しいでしょう。これが一般的なら、メディアの記事として取り上げられないハズですからね。

さて、記事ですが、やっぱりちょいと理解し難い部分がありますな。例えば、「歴史とは時として無責任なまでに観念的だ。」という表現ですが、歴史に対してまで責任を持たせるという発想は、超賤人特有の「何でもかんでも人のせい」から来てるのではないかと思います。少なくても、私の場合だと「自分達がやってきた事こそ歴史である」という認識なので、たとえ比喩的表現として使うとしても歴史に責任を持たせようという発想がないわけです。もっとも、これは私個人の判断であり、私が間違ってる場合もあるんですが。

記事の書き方は、


人の言葉

批判される人達の存在

感情のみの批判者の存在

現状

疑問

批判者側の現状

提案


ってな感じですかね。
個人的に、非常にわかりやすい構成ではないかと思いますが、いわゆる問題的の書き方の常套手段とも言えますな。ただ、批判される人の名前は出してるのに、批判者の名前を出してないあたり、何か意図が有るのかもしれません。せっかく、いい主張をしてるんですから、批判者側の名前やグループ名を出して、「批判の根拠はなく、感情論のみである」と書くべきでした。ここが惜しい所なんですが、恐らく批判者側の名前を出すと、「何でウリの名前を出したニダ!謝罪と賠償を要求するニダ!」と叩かれるのを知ってるんでしょうな。これが意図的に名前を出してない理由でしょう。



まま、何にしても今回の朝鮮新報の記事には個人的に同意出来ます。全くその通りと言ってもいいのではないでしょうか。





ところで、朝鮮新報よ。
俺がこの記事を見たのは、サイトの日本語版だけなんだが、
英語版や朝鮮語版にも























































ちゃんと
書いてんだろうな?



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